低スペックでも幸せになるために
低スペックな人間に限らず、人は誰しも幸せになりたいと願っていると思う。
僕が知っている幸せな人の共通点は、礼節があって優しいということだ。
どう優しい人かというと、目下の人、年下の人、サービスを提供してくれる人などに対して優しい人。
上司とかお客さんとか友達とかじゃなく、優しくしてもほとんどメリットがない人に対して優しいということだ。
皆分かっていることだけど、残念ながら世の中のほとんどの人は、そういう意味では優しくない。
日本人は大人しい人種だと言われているが、これは他人に優しくて思いやりがあるということではなくて、不平不満を口にしてないだけだ。
心の中では汚いことを考えていたりする。
ネット掲示板を見れば一目瞭然だろう。
デモも暴動もなくて犯罪率は低いけど、同調圧力が強くて行動に起こせないだけだ。
日本人は素晴らしい面も多いけど、そういう意味では非常に陰湿な人種だと思う。
優先席で妊婦さんに席を譲らずに寝たふりをするやつ、飲食店で店員に横柄な態度を取るやつ、年下というだけで自分より格下に扱うやつが多すぎる。
こういう人間は普段何を考えて生きているんだろうか。
正月に初詣に行って一年の平安と幸せを神様にお願いしたんじゃなかったのだろうか。
なぜ神様へのお願いと日頃の行いが無関係になるのか?
神様に自分の幸せを願っておいて、他人に対して平気で無礼な態度を取るやつは一生幸せになることはできないだろう。
自分の幸せを願うのなら、まず人が見ていないところで他人に親切にすればいい。
こういうことができる人は、低スペックでも幸せになれる。
元銀行員の悲しい老後生活
以前NHKで老後のドキュメンタリーで、元大手都市銀行員のおじいさんの老後生活を見た。
おじいさんはこれでもかと自分の過去の功績を自慢していた。
現役時代に他人からもらった名刺を大事に持っていて、自分が載っている会社の記念誌のページを見せてオレが三菱だという感じで誇らしいと言っていた。
でも激務だったからか家族は家を出ていってしまい、孤独な生活のようだった。
若い頃に出張先で見た尺八を仲良く吹く老夫婦が憧れで、ああいう夫婦になりたかったと今の孤独な自分と比べて悲しくなり、カメラの前で泣いていた。
これはどう考えても幸せな老後ではない。
悲惨な老後だ。
僕は彼に責任がなかったわけではないと思うけど、ほとんどは高度経済成長とその奴隷制度の被害者だと思う。
なんとも悲しくなる番組だったけど、大きい教訓を得た番組だった。
今のままの労働環境で生涯働くと彼のような悲しい一生で終わってしまう。
彼はお金があったからまだ救いがある。
退職金がかなり出たのか良さそうな老人ホームに住んでいた。
若い世代にはそのお金もない。
どこかのレコード会社の社長が、仕事が好きで働いてる人間の労働時間を規制するなと言っていたけど、正直頭がおかしいんじゃないかと思う。
必要以上に働くのはそういう働くのが趣味な人に任せればいい。
すべての人が仕事を通じて幸せになる必要はない。
経営者にその価値観を強要する権利はない。
金ももらえない上にこんな悲惨な老後のために、若い頃の多くの時間を仕事に捧げろというのか?
奴隷制度はそういうことを平気で言う。
そもそも無茶苦茶なことを我々に要求しているのだからまともに相手にしてはいけない。
普通の人は必要な分だけ働いて、若いときから自分の時間を楽しめばいい。
高齢者の年齢引き上げ
医学学会から高齢者の年齢は75歳からでいいんじゃないかという提言があったようだ。
年金とか医療費が足りなくて国としては高齢者の年齢を引き上げる方向に向かっているのだろう。
75歳というと平均寿命よりは若いといっても死ぬ人も多く出てくる。
だから生涯働く気でいて下さいとなるのだろうか。
私の祖父は74で亡くなくなった。
それでも孫としては特別早い別れだったという思いはなくて、私はその時成人していたし、十分生きたなという思いが大きかった。
思い出もいっぱいあるし、何より仕事も遊びも十分楽しんだという意味で大往生だと思う。
その経験もあって私はまあ74歳くらいまでには死ぬだろうと思って生きている。
むしろ80、90まで生きた自分が想像できない。
そんなに長生きはしたくない。
というか老後というものに期待していない。
だから国から生涯働いてくれと言われても、まあそうくるだろうなと冷静に受け止められる。
でも、現役時代に仕事だけに人生を捧げて、老後に楽しみをとっておいた中年の人達は、冷静ではいられないと思う。
のんびりした老後というご褒美があるからこそ辛い長時間労働とかパワハラとかに耐えらるのだから。
それを今更無しにされてもそれは困るだろう。
でも、私のような人間は困らない。
こういう奴隷制度からは距離を取らないといけないと思って生きているからだ。
「のんびりした老後は廃止しました。生涯働いてくれ。ただし労働環境は今のままで」と言われて我々に打てる手は2つしかないと思う。
最初から働かないか、または最初からのんびりした老後並の生活をするかだ。
私は最初前者で、後に結婚したりして物入りになったので後者を選択して生きている。
月〜金働き、残業は無しで、毎日家族で手作りの温かい晩御飯を食べている。
土日はずーと家族でのんびり過ごす。
家も小さな賃貸で車もないけどそれで十分幸せだ。
その幸せを噛みしめるように毎日を生きていれば、老後というご褒美なんて全く必要ない。
私は健康と良好な人間関係と温かい食事があれば幸せでいられる。
低スペックで幸せになるには、そういう幸せの条件を自分で探す必要がある。
リンコさんとすみれちゃん
リンコさんは、彼氏の映画マニアぶりについていけず、というか一緒にいて楽しくなくて我慢しながら無理して付き合ってる。
これはキミはペットのすみれちゃんと同じだ。
すみれちゃんはハスミさんがカッコよくて安定してて仕事もできて皆が羨む超優良物件なのだと頭では分かってるんだけど、とにかく一緒にいて楽しくない。
ハスミさんの部屋にいながら自分の家に帰ってモモに会いたいと思っている。
何かに付けて変な違和感を感じてしまい自分に戸惑っている。
最近何かの記事で、トキメキは信じられないけど違和感は信じられる、というのを読んだ。
名言だと思う。
自分に当てはめればよく分かる。
トキメキはこうだったらいいなという妄想だけど、違和感は脳の危険察知センサーか感知した危険情報なんだから信頼度が高い。
すみれちゃんは感じた違和感に従ってハスミさんと別れてモモと結婚した。
リンコさんはどうするのだろうか。
たぶんすみれちゃんと同じく違和感を感じない相手と一緒になると思う。
ドラマ「東京タラレバ娘」が面白かった
ドラマの東京タラレバ娘をみた。
原作の評判がいいようで、面白いし第一話にして色々考えさせられる。
リンコさん達は男性問題だけに不満があることがポイントだ。
仕事とか他のことは何とかなるのに男のことになると思い通りにいかなくてイライラしている。
30代男からすると、彼女達のような女性が一番怖い。
10代20代のときに男にもてたから理想が高い。
最も恐ろしいのは、彼女達の理想が20代のときより下がっているのではなくむしろ上がっていることだ。
男は漠然と30代女性より20代女性のほうが良いと思っている。
若いほうが子供を産みやすいと思うからだ。
これは理屈でなく本能的なもの。
私の個人的な趣向では経験値が多い30代女性のほうが好きだ。
でもそれは私が結婚していて妻子という後ろ盾があり、ある程度私という人間を傷付けられないという自信があるからにほかならない。
要はもう私はリングから降りて引退したボクサーなのであって、現役の手練と会っても平気なのだ。
傷つけられることはない。
でも、これが未婚という現役選手だったらとてもじゃないけど気軽に接することはできない。
私のようなへなちょこ戦闘力ではすぐにやられてしまう。
精神を負傷してしまう。
あるナンパ師のようにベジータのような男でなければ彼女達には太刀打ちできない。
ベジータは彼女達が望む全てを兼ね備えた上で自由に彼女達を惚れさすことができる。
でもベジータは彼女達には目もくれない。
ベジータはもっと若くて美人で高学歴で高収入なイヴァンカトランプみたいなスーパーウーマンを何人もキープしているのだから。
これが現実である。
かくして需要と供給は合わず、彼女達は永遠にイライラすることになる。
幸せになるには、スカウターを捨てなければならない。
【体験レビュー】キュベリィやさしいシャンプー・コンディショナー
キュベリィやさしいシャンプーとコンディショナーを使ってみたのでレビューする。
レビューの前提
レビュー者(私)の前提を記すので参考にしていただきたい。
・私は30代男性で30年以上アトピーを患っており常に肌質は敏感
・肌質のタイプは常に薄い赤み(ピンク)がある乾燥肌
・調子が悪くなると赤い湿疹が出るタイプ
・ロコイドをヒルドイドで希釈したものを顔に1:5身体に1:1で1日1回風呂上りに塗っている
・敏感の程度は、一般的な化粧水では赤くなって痒くなる
・ヒルドイドでも多少痒くなる
・だいたいシャワーや風呂から上がると赤い湿疹がでる
・花粉症もあるのでタリオンを夜と朝に一錠ずつ飲んでいる
・いつもは石鹸で頭を洗っている
洗い心地
泡立ちはよくない。石鹸のように泡立たない。
しかし石鹸のような頭皮のヒリヒリ感がない。
コンディショナーも刺激は感じられなかった。
洗浄効果
サッパリ感は低い。2度洗いしたい感じ。
洗浄成分
アミノ酸系のシャンプーで刺激のあるものは入れていないようだ。
価格
なかなか高い。
700mlでシャンプー・コンディショナー各定価5065円(税込み)。
購入のしやすさ
購入しにくい。
店舗販売は見つけられなかったが直販サイトで買える。
口コミやレビューが少ない。
使用後の感想
ドライヤーの後も痒くならなかった。
刺激の少なさを実感できた。
総合満足度
あくまで私の場合だけども、私には満足度が高かった。
使用後に頭皮と身体が痒くならないだけで十分に価値がある。
ボナミノクレマシャンプーよりも刺激が少なくて、しっとり感が少ない。
さっぱり感も少ないので、痒くならないなら私はボナミノクレマシャンプーのほうがメリットが多いかもしれない。
僕は西内まりやを応援している
「西内まりやが大変そう」という記事を読んだ。
消費される人間の苦悩と事務所ごり押し批判の批判という内容だったのだが
僕も同意見で、苦悩も多いだろうと気になっていた。
彼女は天から飛び抜けた才能を与えられていることは、動画を少しみて歌声を聞けばわかる。
歌手とモデルと女優の全てで一流になれる素養がある。
私は彼女のことが特別好みというわけではないが、魅力的だと思うし、とても応援している。
なぜかというと、本人が望めば、人は誰もが持って生まれた才能の使い方を尊重されるべきだし、それは誰にも邪魔されるべきではなくて、どんな使い方でもそれで堂々と生きていていいはずだと考えるからだ。
人は、彼女のような飛びぬけた才能を憧れつつ嫉妬する。
彼女のようになりたいけど、なれない絶望が全国の少女の胸にあるだろう。
彼女のことを考えると、以前よく読んでいた好きなナンパ師のブログを思い出す。
凄腕のナンパ師は皆そうだけど、そのナンパ師の戦歴も圧倒的だった。
大企業の受付嬢、モデル、女子大生、キャリアウーマン、キャバ嬢などなど(全て若くて超美人)。
容姿も性格もいい女達がその日会ったばかりの彼に抱かれている現実。
しかもホテル代は女の子が出してくれて割り勘にしたとか。
どんだけ女を喜ばしとんかと、他の男はうらやむことすらできずに溜息しかでない。
さらにナンパの技術を応用して何十億もの商談をまとめる有名企業の営業成績ダントツトップ。
日々筋トレにいそしみ、ナンパじゃないところで出会った大事な彼女もいる。
金、女、モテ、家族、健康、仕事、努力、根性・・・、男としての才能の全てを持っている。
ドラゴンボールのキャラクターの中ではベジータが一番好きらしい。
私の才能など彼の足元にも及ばない、考えただけで悲しくなってくる。
でも彼はブログでとても堂々としていて、自分も他人も肯定していて僕はわりと好きだった。
彼のように才能に恵まれたらどんなにいい思いができたか。
西内まりやを見ている同性の絶望は、同じ感じだろうか。
彼は同僚やブログを見ている男たちに嫌われていた。
西内まりやも同性に嫌われている。
美しい容姿、お金、モデル、歌手、女優という仕事、女性が憧れる全てを西内まりやは持っている。
それを彼女自身が分かっている。
人がうらやむものを自分は持っていると。
フリートークになると自分のキャラを掴みきれていない照れた笑いにそれが表れている。
敵は聴衆だけではない。
今の芸能で受けているのは集団としての輝きだ。
一人一人は大したことなくても集団になると輝いたりする。
西内まりやはそうじゃない。
たったひとりで集団以上に光り輝く人なのだ。
いつだったか、○ざましテレビの狭いスタジオ内で歌わされている彼女を見たことがあるが、ひどかった。
歌は上手くてよかったのだけど、その会場が彼女にふさわしくなかった。
何万人の前で歌うべき人がなんで狭苦しいテレビの1コーナーで歌わないといけないのか。
それを見て彼女の周りの人間たちの程度が分かったし、今の彼女はその人間たちの言いなりなんだなと思った。
1灯だけで力強く光る人を、人はまぶしすぎて直視できない。
自分を振り返ればその光に照らされた影がくっきりと見えてしまう。
顔を背けるか、目を閉じるか、自分の代わりに足元を照らしてもらうか。
自分で輝けない者はそうするほかはない。
彼女はそれも分かっている。
でも彼女は完全に自分がそういう存在だと信じ切れていない。
自分はそういう存在にふさわしい人間とまでは思っていない。
おそらく演じている瞬間はなりきれても、素の自分に戻ると普通の若い女の子なのだと思う。
歌っているときは堂々としてスターのオーラを放っていてもフリートークのときに照れるのはそのためだ。
これはインタビュアーや司会者が悪い。
「どこまでスターになってもいくら才能あふれた西内さんも本当は普通の人ですよね?テレビの前の多くの女の子と同じですよね?」
というクソみたいな共通認識で、足を引っ張る形でしかインタビューできないからだ。
西内まりやからすれば「同じなわけないだろう。なんだこいつらは。」というところだろう。
当たり前である。
スターでかつ普通の人と同じなどということはありえない。
スターはスター、普通の人は普通の人なのだ。
だから仕事中は周りもスターはスターとして扱うべきだし
彼女も完全にスターとしてふるまうべきだ。
それが嫌ならステージを降りるべきだと思う。
人は誰でも真に自分を尊重できるのは自分しかいない。
どんな才能であってもその人なりの才能でいいから堂々と胸をはっていてほしい。
僕はそうやって生きていきたい。
大した才能がないなら、その才能で堂々としていればいい。
あふれる才能があるなら、その才能で堂々としていればいい。
僕は自分の才能を肯定するためにも、他人の才能を肯定していたい。
だから彼女には西内まりやでいるとき(仕事中)は、常に堂々としていてほしい。
スターはスターでいい、何の問題もない。
ダンスでも歌でも、安心して堂々と他の人には到達できないパフォーマンスを軽々とやってのけてほしい。
偉大なスターは皆そうしてきた。
スター街道を敷かれていることが嫌かもしれないけど、それは才能を認められた証でもあるのだから、ステージに上りたいのであれば、しれっとしつつ、その道を迷わず突き進めばいい。
もちろんプライベートはプライベートで素の自分で楽しんでほしい。
胸を張って生きていれば、それをいい男は見ていて、きっといい出会いが訪れる。