友達はいらない
友達という存在について考えると色々なことに思いがめぐる。
昔読んだ本の中に「自分の誕生パーティに何百人も人が来てくれる」という人気者の人が出てきた。
その人は毎晩、他の人の誕生パーティに出ているらしい。
その人が人気者なのか孤独な人なのかは分からない。
本人が満足ならそれでいいじゃないかという気もするし、人気者に見える人が孤独を感じていたり、孤独に見える人が満ち足りた人生を歩んでいることもあるだろう。
漫画家の蛭子能収は著書の中で「遊びの誘いを断れない人が友達ではなくて、遊びの誘いを断れるのが友達なんだ」ということを言っていた。
僕もその通りだと思う。
何事も強制しない、自分の都合を優先しても良好な関係を保てる関係が友達なのだろうか。
何かのインタビューで読んだのだけど、最近のドラクエがオンラインで繋がるのがお気に召さなかったようだ。
「ゲームは他人と繋がらず一人で楽しむのがいいんだ」というようなことを言っていた。
淡路恵子さんは放蕩息子がいたり家族関係に恵まれなかったようだから、ゲームをしている時は何にも縛られない穏やかな時間を過ごしていたのだろう。
一人の時間を大事にしたい人がいるのだったら、その時間を尊重したほうがいい。
Phaさんは、自分の家に友達が来る予定になっていた場合にドタキャンされても怒らない。
「予定していても来たくなくなったら来なくていいし、来たかったらくればいい」というようなことを言っていた。
僕も完全に同意する。
僕も遊びとか小さな約束なら破られても全然気にならない。
でも小さな約束でも守られないと不快な人がいるから、自分が行くときは極力守るようにしている。
だから僕はあまり約束をしない。
筋トレで有名なテストステロンさんはツイッターで
「あなたを大事に扱わない人を友達と思う必要な全く無いしそんな人間に自分の貴重な人生の時間を使うことはやめよう」というようなことを言っていた。
その通りだと思う。
人生の中でこんなふうにお互いの大事な時間を大切にできる友達はそう多く出来ないだろうし、むしろ一人もできないのかもしれない。
一人もできないなら友達は無くてもいいのだと思う。
むしろ友達は多ければ多いほど良いというのは幻想なのだから、そんな洗脳に縛られる必要はない。
黒田官兵衛の「天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり。」という言葉を思い出す。