この世の全てのモノは借り物だ

ニート的ミニマリスト幸福論

ハードルを高くしない生き方は楽

菊川怜が結婚してその旦那に婚外子がいて云々という報道には正直驚いた。

 

まずそんなに女性を妊娠させるほどの元気がある男がいるんだということ。

 

僕では例え資産200億あってもそんな元気はない。

 

いろんな女の子とスケベしたいなーと思うけど、さすがに避妊くらいはすると思う。

 

それから、子供を産んでもらって子育てしないというのも理解できない。

 

男も子供がかわいいから子育てしたいと思うものだけど。

 

まあそこはそれぞれの考えがあるのだろう。

 

それから、菊川怜のお父さんは反対しなかったのかということだ。

 

僕が同じ立場なら絶対に反対している。

 

結婚にはリスクが付き物だけど、それにしてもこの結婚はリスクが高すぎるからだ。

 

また旦那のそれは事実上の一夫多妻制度だと思うからだ。

 

自分の娘は、娘だけを見守ってくれる旦那と結婚してほしい。

 

一方で、菊川怜が旦那のトロフィーワイフだというステレオタイプ的な見方があるが、エリート女性に言わせるとトロフィーなのは資産200億の旦那のほうらしい。

 

そう言われると合点がいく。

 

だから菊川怜はすべてを打ち明けられてもこの結婚を決めたのか。

 

トロフィーを手にするのは自分だと思っているなら自然な成り行きだろう。

 

しかし、ここで僕が感じるのはなぜそこまで幸せのハードルが高いのかということだ。

 

旦那をトロフィーだと言ったエリート女性も同じなのかもしれないけど、どうも上昇志向が強い人は幸せのハードルが高い。

 

有り余る成功を達成してもなぜそこで満足しないのか。

 

なにも2百億じゃなくてもいいんじゃないか。

 

そんなに金もってどうするんだと思うけど、

菊川怜であらねば生きていけないようなプライドがあるのだろうか。

 

成功体験があるエリートは、そのゆえにそこから外れた生き方ができなくなるという。

 

エリートまたは成功者を降りた自分では生きていけないし、生きたくないのだ。

 

それも辛い人生だなと思う。

 

最近「ウツぬけ」という鬱病の経験者の体験談が書かれた漫画を読んだのだけど経験者に共通するのは、発病前に何らかの成功体験をしていることだった。

 

成功体験は一見すばらしいけど、強力な毒にもなるということだ。

 

みんなもっとカッコ悪い自分や駄目な自分を認めて楽になればいい。

 

そうすればその瞬間にこの世は極楽になる。

 

生きているだけで良くがんばってるというくらい志低く生きていていいじゃないか。

 

人間なんてそれくらいでも十分幸せに生きられる。