土屋アンナ批判は女性蔑視だ
僕は何故か土屋アンナが好きだ。
見るからに生意気そうでキツそうな見た目だし美人だからさぞ男にチヤホヤされてきてその上男好きなんだろう?
という男としての防御本能が反応する反面
たぶんこの人は好きな人と一緒にいたくてその都度子供を作りたいという欲求に素直な人、真っ直ぐな人なんだろうな
と好意的に思う自分がいる。
そういう人を批判する人間はクソだ。とおもう自分がいる。
土屋アンナと比べるわけじゃないんだけど、あのエディット・ピアフも散々ふしだらな女とかいって嫌われた。
でも彼女の愛は率直で本物で、それを表現した愛の讃歌は素晴らしい。
僕には土屋アンナ批判に女性蔑視の匂いを感じる。
欲望に素直な女は、社会秩序の安定には都合が悪い。
そんなオッサンとオバサンのエゴがチラつく。
女子の敵は女子だなとも思う。
ヒラリーを落としたのはヒラリー的でない多数の女性らしい。
家族のためにクッキーを焼くお母さん達がヒラリーを落としたということなのだろう。
みんな自分の人生を肯定したいし、正しいものであると思いたいのだ。
誰かの人生を肯定することが自分の人生を否定することになるならば、その誰かの人生を否定することで自分の人生を肯定しようとするだろう。
僕も耳が痛い。
誰かの人生を否定することは幸せを遠ざける。
自分と誰かを比べた時点で不幸になることは決まっているからだ。