この世の全てのモノは借り物だ

ニート的ミニマリスト幸福論

高齢者の年齢引き上げ

医学学会から高齢者の年齢は75歳からでいいんじゃないかという提言があったようだ。

年金とか医療費が足りなくて国としては高齢者の年齢を引き上げる方向に向かっているのだろう。

75歳というと平均寿命よりは若いといっても死ぬ人も多く出てくる。

だから生涯働く気でいて下さいとなるのだろうか。

私の祖父は74で亡くなくなった。

それでも孫としては特別早い別れだったという思いはなくて、私はその時成人していたし、十分生きたなという思いが大きかった。

思い出もいっぱいあるし、何より仕事も遊びも十分楽しんだという意味で大往生だと思う。

その経験もあって私はまあ74歳くらいまでには死ぬだろうと思って生きている。

むしろ80、90まで生きた自分が想像できない。

そんなに長生きはしたくない。

というか老後というものに期待していない。

だから国から生涯働いてくれと言われても、まあそうくるだろうなと冷静に受け止められる。

でも、現役時代に仕事だけに人生を捧げて、老後に楽しみをとっておいた中年の人達は、冷静ではいられないと思う。

のんびりした老後というご褒美があるからこそ辛い長時間労働とかパワハラとかに耐えらるのだから。

それを今更無しにされてもそれは困るだろう。

でも、私のような人間は困らない。

こういう奴隷制度からは距離を取らないといけないと思って生きているからだ。

「のんびりした老後は廃止しました。生涯働いてくれ。ただし労働環境は今のままで」と言われて我々に打てる手は2つしかないと思う。

最初から働かないか、または最初からのんびりした老後並の生活をするかだ。

私は最初前者で、後に結婚したりして物入りになったので後者を選択して生きている。

月〜金働き、残業は無しで、毎日家族で手作りの温かい晩御飯を食べている。

土日はずーと家族でのんびり過ごす。

家も小さな賃貸で車もないけどそれで十分幸せだ。

その幸せを噛みしめるように毎日を生きていれば、老後というご褒美なんて全く必要ない。

私は健康と良好な人間関係と温かい食事があれば幸せでいられる。

低スペックで幸せになるには、そういう幸せの条件を自分で探す必要がある。