この世の全てのモノは借り物だ

ニート的ミニマリスト幸福論

僕は西内まりやを応援している

西内まりやが大変そう」という記事を読んだ。


消費される人間の苦悩と事務所ごり押し批判の批判という内容だったのだが
僕も同意見で、苦悩も多いだろうと気になっていた。

 

彼女は天から飛び抜けた才能を与えられていることは、動画を少しみて歌声を聞けばわかる。

歌手とモデルと女優の全てで一流になれる素養がある。


私は彼女のことが特別好みというわけではないが、魅力的だと思うし、とても応援している。


なぜかというと、本人が望めば、人は誰もが持って生まれた才能の使い方を尊重されるべきだし、それは誰にも邪魔されるべきではなくて、どんな使い方でもそれで堂々と生きていていいはずだと考えるからだ。

 

人は、彼女のような飛びぬけた才能を憧れつつ嫉妬する。
彼女のようになりたいけど、なれない絶望が全国の少女の胸にあるだろう。

 

彼女のことを考えると、以前よく読んでいた好きなナンパ師のブログを思い出す。
凄腕のナンパ師は皆そうだけど、そのナンパ師の戦歴も圧倒的だった。
大企業の受付嬢、モデル、女子大生、キャリアウーマン、キャバ嬢などなど(全て若くて超美人)。
容姿も性格もいい女達がその日会ったばかりの彼に抱かれている現実。
しかもホテル代は女の子が出してくれて割り勘にしたとか。
どんだけ女を喜ばしとんかと、他の男はうらやむことすらできずに溜息しかでない。
さらにナンパの技術を応用して何十億もの商談をまとめる有名企業の営業成績ダントツトップ。
日々筋トレにいそしみ、ナンパじゃないところで出会った大事な彼女もいる。
金、女、モテ、家族、健康、仕事、努力、根性・・・、男としての才能の全てを持っている。
ドラゴンボールのキャラクターの中ではベジータが一番好きらしい。


私の才能など彼の足元にも及ばない、考えただけで悲しくなってくる。

 

でも彼はブログでとても堂々としていて、自分も他人も肯定していて僕はわりと好きだった。
彼のように才能に恵まれたらどんなにいい思いができたか。
西内まりやを見ている同性の絶望は、同じ感じだろうか。


彼は同僚やブログを見ている男たちに嫌われていた。
西内まりやも同性に嫌われている。


美しい容姿、お金、モデル、歌手、女優という仕事、女性が憧れる全てを西内まりやは持っている。
それを彼女自身が分かっている。
人がうらやむものを自分は持っていると。
フリートークになると自分のキャラを掴みきれていない照れた笑いにそれが表れている。

 
敵は聴衆だけではない。
今の芸能で受けているのは集団としての輝きだ。
一人一人は大したことなくても集団になると輝いたりする。


西内まりやはそうじゃない。
たったひとりで集団以上に光り輝く人なのだ。


いつだったか、○ざましテレビの狭いスタジオ内で歌わされている彼女を見たことがあるが、ひどかった。
歌は上手くてよかったのだけど、その会場が彼女にふさわしくなかった。
何万人の前で歌うべき人がなんで狭苦しいテレビの1コーナーで歌わないといけないのか。
それを見て彼女の周りの人間たちの程度が分かったし、今の彼女はその人間たちの言いなりなんだなと思った。


1灯だけで力強く光る人を、人はまぶしすぎて直視できない。

自分を振り返ればその光に照らされた影がくっきりと見えてしまう。

顔を背けるか、目を閉じるか、自分の代わりに足元を照らしてもらうか。

自分で輝けない者はそうするほかはない。
彼女はそれも分かっている。


でも彼女は完全に自分がそういう存在だと信じ切れていない。
自分はそういう存在にふさわしい人間とまでは思っていない。
おそらく演じている瞬間はなりきれても、素の自分に戻ると普通の若い女の子なのだと思う。
歌っているときは堂々としてスターのオーラを放っていてもフリートークのときに照れるのはそのためだ。


これはインタビュアーや司会者が悪い。
「どこまでスターになってもいくら才能あふれた西内さんも本当は普通の人ですよね?テレビの前の多くの女の子と同じですよね?」
というクソみたいな共通認識で、足を引っ張る形でしかインタビューできないからだ。
西内まりやからすれば「同じなわけないだろう。なんだこいつらは。」というところだろう。


当たり前である。


スターでかつ普通の人と同じなどということはありえない。
スターはスター、普通の人は普通の人なのだ。


だから仕事中は周りもスターはスターとして扱うべきだし
彼女も完全にスターとしてふるまうべきだ。
それが嫌ならステージを降りるべきだと思う。


人は誰でも真に自分を尊重できるのは自分しかいない。
どんな才能であってもその人なりの才能でいいから堂々と胸をはっていてほしい。
僕はそうやって生きていきたい。
大した才能がないなら、その才能で堂々としていればいい。
あふれる才能があるなら、その才能で堂々としていればいい。
僕は自分の才能を肯定するためにも、他人の才能を肯定していたい。


だから彼女には西内まりやでいるとき(仕事中)は、常に堂々としていてほしい。
スターはスターでいい、何の問題もない。
ダンスでも歌でも、安心して堂々と他の人には到達できないパフォーマンスを軽々とやってのけてほしい。

偉大なスターは皆そうしてきた。

 

スター街道を敷かれていることが嫌かもしれないけど、それは才能を認められた証でもあるのだから、ステージに上りたいのであれば、しれっとしつつ、その道を迷わず突き進めばいい。
もちろんプライベートはプライベートで素の自分で楽しんでほしい。

胸を張って生きていれば、それをいい男は見ていて、きっといい出会いが訪れる。