この世の全てのモノは借り物だ

ニート的ミニマリスト幸福論

憧れの仕事

僕はニートのとき、仕事をしてる人を羨ましく思っていたし憧れてた。


自分も仕事をして颯爽とスーツや作業着で外を歩いてみたい。電車や喫茶店でパソコンを開いてカチャカチャやってみたい。自分の働きでお金を得るなんてなんてかっこいいんだろう。


僕は親の金でしか食べ物を食べたことがないけど、自分で得た金で食べるご飯は美味しいんだろうな。


病院に行けば、窓口では扶養と書かれた健康保険証を見せて、診察室で自分とたいして年の変わらない医者に診察されるのが恥ずかしかった。


自分はなんて惨めでしょうもない人間なんだろう。もうこの世から消えてしまいたい。立派に働いている人をみるのが苦しかった。



働きだしてみて分かったのだけど、仕事をしてる瞬間瞬間はそんなに嬉しくないし自分のことを立派だとも思っていない。というかむしろ役割を全うすることに追われていてそんなことを考える余裕はない。


ニートのときは、スーツで颯爽と歩いてるように見えていたけど、それは単にお客さんとの打ち合わせに遅れそうで急いでたのかもしれない。電車や喫茶店でパソコン作業なんて資料作成が間に合わなくて移動時間に作業してるとか緊急対応とかだろう。本人は切羽詰っている。


何もかっこいいことはない。


お金だってそうだ。働いてお金を得ると、これだけしかもらえないのかと考えるようになる。少ないなと。こんなはした金じゃ何も買えないなと。


お医者さんだって診察中にニート相手に優越感に浸るわけがない。忙しくてそれどころじゃないだろう。


というように僕はニートのとき仕事というものを勝手に神聖なものとして崇め奉っていた。まったく事実誤認だった。


仕事をしていること自体はそんなに大それたものじゃない。今ニートの人はぜひ仕事を崇拝するのをやめてほしい。


といってもなかなか難しいと思う。僕がニートのとき仕事崇拝をやめろと言われてもたぶんできなかったと思う。


だからやめれなくてもそれはあなたが悪いんじゃない。


あなたは何も悪くない。


ニートのときの自分に言いたい。