電通の直属上司が不起訴になった
新入社員を過労死させた電通の上司が不起訴処分になったらしい。
ここが日本の労働環境を変えるチャンスなのに検察官はなんという決断をしたものだと怒りを覚える。
電通への捜査が安部政権の国策捜査だとしたら、ここらへんが安部政権の限界ということだろうか。
当然のことだが企業を起訴して有罪にしても労働環境改善において何の意味もない。
会社員なら誰でも分かる。
新入社員を殺したのは仕事を振っていた直属の上司に決まっているだろう。
なのだから、この人物個人に罰則を与えて償わせなければ、今後の犯罪抑止には効果がない。
建築設計の世界では違法なことをやった場合に、会社と建築士個人両方にに罰則が下されるように法改正がなされた。
これにより建築士の名義貸しを要求された場合にそれを拒否することができるようになった。
自分の知らないところで悪質な設計がされていた場合に責任が自分にくるので嫌ですと言える環境ができたのだ。
これは良い法改正だったと思う。
同じように労働基準法も個人の責任をきちんと追及しないと、パワハラする上司は後を絶たないだろう。
ご遺族が建築審査会に審査を申し立てて検察官の判断が覆ることを願うのみだ。
きっとこの案件は日本中の労働者と経営者が注目している。
売り言葉を買うのは弱っている証拠
都議選が終わった。
都民ファースト大勝、自民大敗という結果だった。
私は都民なのでとりあえず投票したのだけど、雰囲気的には予想通りの結果だった。
僕は、安部総理が労働問題に切り込みつつあるのでその点は支持していたのだけど、おそらくは国民へのリップサービス的な要素も大きいだろうなと思っていた。
たしかに電通の書類送検など、評価できるのだけど、本丸は私の勤務先で横行しているような中小零細企業のサービス残業だ。
しっかり法律で規制して犯した場合は罰則を科す国はたくさんある。
しかも日本より生産性が高いという。
日本はどんだけアホなのか。
ドイツなどでは上司が個人的に数百万円の罰金になることもあるらしい。
早く日本でも導入してほしい。
そのサービス残業問題に切り込まない段階では、本当の評価はできない。
それから、この労働問題への取り組みも内閣支持率が高いときに行われたもので、支持率が下がってからどうなるかは分からない。
支持率がある程度下がった段階で行われた今回の選挙は大きい意味を持っていた。
本気で国民の労働問題を何とかしようと思っているなら支持率が下がったところで、大きな方向転換は無いだろうと予想できる。
だから安部総理には支持率が下がっても冷静でいてほしかった。
労働問題への取り組みで大きな方向に間違いはないのだから、自信を持って政策をアピールしてほしかった。
だから秋葉原の演説での失態は、若干心配になった。
「こんな人たち~」と言った安部総理は、かなり精神的に追い詰められていて余裕が無くなっているのだと思う。
「やめろコール」なんかされても別に実質的に何かを毀損されることはないのだから、堂々としているべきだった。
若い頃に大きい暴走族の総長だった俳優の宇梶剛士さんが
「弱いやつがすぐに喧嘩する、キャンキャンほえる、まるで怯える子犬のように。本当に強いやつは喧嘩しない。」
といつだか言っていた。
売り言葉を買うのは弱っている証拠なのだ。
労働問題の行方が気になる。
筋トレを始めたら疲れにくくなった
2ヶ月ほど前から筋トレを始めた。
きっかけは保育園の園長先生だった。
保育園の園長は忙しい。
管理職だから担任はないけど、人手不足だからヘルプでいろんな作業をする。
保母さんの作業は主に肉体労働だ。
また、100人からの園児の命を預かっているから精神的にも相当なプレッシャーだろう。
それをこなす体力は生まれつきのものかなと思っていたのだけど、懇談会で趣味は筋トレだと教えてくれた。
自宅に器具をおいて結構本格的にトレーニングしているらしい。
その話を聞いてもしかしたら園長先生の凄い体力は筋トレの成果かもしれないと思い、僕もやってみようと思ったのだった。
で、2ヶ月やってみると、劇的に見た目は変わらないのだけど、体力面で大きな変化があった。
簡単に言うと非常に疲れにくくなった。
日常生活の中で「だるいなー」みたいになることがあまり無くなったと思う。
もちろん多少プラシーボ効果もあると思う。
でも、満員電車で立って帰宅してもあまり疲れていない時は驚いた。
以前は疲れるから座って帰りたくてワザと遠回りして帰っていたのに。
これは結構肉体的に楽だし、だるい状態に耐えなくていいので精神的にも楽できている。
食事にも気を使うようになった。
以前はご飯と揚げ物とかを詰めた弁当を会社に持参してたのだけど、パスタか白飯にブロッコリーとニンジンとパプリカを茹でたもの、それに鳥胸肉を弁当にしている。
たんぱく質と炭水化物と野菜をバランス良く食べるようになった。
睡眠も7時間は取るようになった。
朝と夜、トレーニング後にはプロテインをオレンジジュースで割って飲んでいる。
良い循環ができつつあるし、これからも継続できそうな気がする。
「だるい」といえば僕の大好きなphaさんなのだけど、phaさんももしかしたら筋トレすると少しだるくなくなって楽になるかもしれない。
おっさんは徐々に何もできなくなる現象
人はなぜ偉くなると簡単なことができなくなるのだろうか。
僕の勤務先で偉くなった40代の人は、自分で会社の電話の電話帳を調べることも出来ない。
その人が20代の時にはもう電話帳機能があっただろうから若い頃はできたはずだ。
今でもちょっと触れば分かるはずだ。
こんなことは新卒の人間が覚えようとしていることなのに。
偉くなった40代の人は自分で調べられないものだから事務の人に調べさせてメモに書かせていた。
事務の人は「そのくらい自分でやれや」と言いたかっただろう。
さらに上の年配の人はもっとひどい。
まともに外線をとることもできない。
一番上は80代の会長だが、ここまでくると、まともに出勤できないし耳も遠いし気は遣わないしで社会的には何もできない。
要するに子供と変わらない。
僕はそんなに頑張って働いていないからいいけど、激務をこなしてる人は怒るべきだと思う。
激務をこなしてる人よりも会長のほうがはるかに報酬と待遇がいいからだ。
これらの根本原因は「甘え」だと思う。
甘えというのは共依存なので、甘えるほうも悪いが甘えさせるほうも悪い。
アルコール依存症を悪化させるのは、一番身近な家族であることは有名な話だ。
本人は苦しいが、甘えさせないことも重要なのだ。
だから僕などは社員旅行先の朝食時で当然のようにコーヒーを入れてきてくれと言われた場合も「自分でやれ」と言う。
当然のようにPCの設定をしろと言われる場合も「自分でやれ」と言う。
もちろんいつもお世話になっている人から頼まれたり、明らかに本人が出来ないことは僕がやる。
でもやろうと思えば本人が出来るのに、当然のように他人にやってもらえると思っている場合は拒否しなければならない。
そして一番重要なのは、自分が目下の人間にそういう馬鹿げた依頼を決してしないことだ。
それを良識というのだと思う。
良識があるおっさんは稀にいて、そういう人に接すると自分もこんなおっさんになりたいなと思う。
若者にそう思わせる魅力的なおっさんを人は大人というのだろう。
残念なのは大人はあまりいないことだ。
この世の全てのモノは借り物だ
なぜモノを最小限にして暮したいのか。
ミニマリストの生き方に違和感を持つ人も多いと思う。
僕も元々はモノをいっぱい持っていたし、今も最小限とは言いがたい量のモノが家にある。
もちろんスッキリした空間で生活したいということもあるけど、僕の場合、一番大きいのは「モノは墓場に持っていけない」からだろうか。
仮に僕がお金をいっぱい持っていて、モノをたくさん買えたとしても、僕はいつか必ず死ぬんだから、死んだらほとんど全て不要になる。
そう考えると、いつしか「この世の全てのモノは借り物だ」「所有なんてものはない」と考えるようになった。
だからこそ、買いたいモノを存分に買って楽しむという人がいてもいいと思う。
でも僕はそこでどうしても寂しさを感じてしまい、死を受け入れるためにモノを捨てたくなる。
そう、僕は自分が死ぬのが怖くて少しでもそれを受け入れるためにミニマリスト的な生き方をしていると思う。
もっというと、より身近に死ぬことを感じるため、死を身近に感じて生きるためだ。
そうやって毎日生きていると、自分がたった1回の人生でやりたいことに注力して生きられる気がする。
いつ死んでも少しは納得して死んでいける気がする。
もちろんこの考えが正解だという気は無いけど、とりあえずは今のままかけがえの無い時間を大事にしていきたい。
元ニートにおすすめクレジットカード
僕はバイトを始めて半年経ったくらいでクレジットカードを作った。
ネットで還元率とかを調べて良さそうなカードから申し込んだのたけど、落とされまくった。
SBIカード、東京メトロカード、などなど落ちて、一番最初に持てたのがライフカードだった。
7年ほど前の話だから、審査の状況は変わっているかもしれないけど、ライフカードは低スペックな人間に優しいカードだと思う。
それから楽天カードも持てた。
この2つのカードには恩義を感じていて今もメインで使っている。
還元率もそこそこ良い。
僕のような人はとりあえずライフカードと楽天カードの申し込みを試してみてほしい。
分かっていると思うけど、支払い方法は1回のみにしなければならない。
間違ってもリボ払いにしてはいけない。
父の日に考えたこと
今、「昼顔」とか「あなそれ」とか、不倫をテーマにしたドラマが流行っているらしい。
僕も既婚者なので不倫は他人事ではないのだけど、僕はしたいとは思わない。
僕は毎朝3歳の娘と手を繋ぎながら保育園に歩いて行く。
今日は父の日だったなと思って、娘の手を見ていた。
娘はまだまだ小さい手で一生懸命僕の手をにぎっている。
不倫するということは、この娘の手を振りほどいて女とセックスしに行くということだ。
しょうもない低スペックな元ニートの僕を、ただ父親というだけで、こんなにも頼ってくれる娘。
無事に産まれることをあれだけ祈って、何度も風邪を引きながらここまで元気に育ってくれた娘。
そんな娘がお父さん行かないでと言いながら止めるのを振り切って行くほどの価値のあるセックスがあるのだろうか。
年齢を重ねるとまた違うのかもしれない。
でも今のところ、僕はこの手は絶対に離さないと誓える。
父親でいるということは、頑張って仕事してまあまあのお金を持って帰ることじゃない。
娘の手を離さずに、いつもお母さんを大事にして、家の中では機嫌良く、話を聞いて欲しいときに聞いてくれて、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、優しく見守ってくれて、必要なときに厳しく叱る、そもそもそういうことが父親のすることなんじゃないだろうか。
こういう基本的なことが満足に出来ないのに、忙しく仕事するなんて馬鹿げたことだと思う。
仕事が忙しいから出来ないのなら、そんな仕事はやる必要がない。
手段と目的が逆になってるわけだから、本末転倒だ。
人の資源は有限なのだから、仕事なんて必要な分だけやって、残りは存分に自分のやりたいことに投入すべきだ。
ごちゃごちゃうるさい会社はほっといて、万が一退職を促されたら、それ自体が会社都合退職の事由になるのだから会社都合退職して自分の時間と新しい仕事を手に入れよう。
人生は一度しかない。
そろそろ自分のために生きるか会社のために生きるか選択しよう。